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13日に撒いたチラシ

1.5月15日・・・沖縄が日本国憲法の下に帰れなかった日1972年5月15日、沖縄の施政権が日本に返還され、沖縄は日本に「復帰」しました。沖縄の人たちはそれまで「復帰運動」を闘い、当時ベトナム戦争の兵站基地として米軍が自由に使っていた「基地の島」から、日本国憲法下の「平和の島」に戻ることを真剣に望んでいたのです。しかし、厖大な米軍基地はそのままにされ、今も日本国土の0.2%(日本で一番狭い香川県は1876㎞2、沖縄本島はそれより狭い1280㎞2)しかない沖縄本島に、米軍専用基地の74%が集中している異常な事態が続いています。
そもそも沖縄は明治維新の際、警察と軍隊を使って強引に琉球藩(琉球王朝)を沖縄県にしたところです、これを「琉球処分」と言います。独自の文化と伝統を持っていた沖縄の意志は無視され、天皇制国家の元に組み込まれていきました。
第二次世界大戦末期、日本軍は圧倒的な物量を誇る米軍に連合艦隊を壊滅させられ、「本土」への空襲も激しさを増し、どう見ても負けが明らかになっているにもかかわらず、「日本」の「天皇制」(国体)を守るため「本土決戦」を叫んでいました。しかしその準備は遅々として進んでおらず、その「時間稼ぎ」「捨て石」として沖縄で3ヶ月以上も戦闘を続けさせました。司令官の牛島中将が「自決」した後も、戦闘を継続するよう命じられたのです。戦争が終わっても、昭和天皇は連合軍総司令官マッカーサーに当て「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう希望する」「米軍の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借-二十五年ないし五十年あるいはそれ以上-の擬制にもとづくべきである」とメッセージを送っていました。そのほうが「日本の防衛」に役立つからと考えたからです。   
1952年4月28日「サンフランシスコ講和条約」が発効して日本は「独立」を取り戻す引換えに、「沖縄」を米軍の占領下に差し出したのです。(これを「第二次琉球処分」と呼ぶ人がいます)そのような中で、「本土」での反米軍基地・反安保闘争が激しくなる中、海兵隊が「本土」から、より基地の作りやすい米軍政下の沖縄に移ってきます。
米軍政下で、現在よりも多くの米軍による事故、犯罪が起こり、またベトナム戦争が激しくなるにつれ嘉手納基地等での騒音、環境の悪化が激しくなります。このような中、沖縄の人たちは「日本国憲法のある」日本への「復帰」を果たし、「基地の無い平和な島」を求めて、基地で働かざるを得ない沖縄の労働者は「死すべきは基地である」とストライキに立ち上がる、当時の「国境」であるところまで漁船で繰り出してアピールする等、様々な闘いを繰り広げました。しかし当時の佐藤栄作内閣はアメリカと取引を行い、米軍基地をそのまま日本政府の責任で維持することで、沖縄の施政権を返還してもらうというペテン的な交渉を成立させたのです。
かくして、沖縄は日本に「返還」されたにもかかわらず、米軍基地がそのまま残る、「戦争をしない、軍隊を持たない。」「人として平和に生きる権利」を書き記した日本国憲法は、施行されないのに等しい状態が今も続いています。(これを「第三次琉球処分」と呼ぶ人がいます)
1995年の少女暴行事件をきっかけに、沖縄で再び「基地撤去」の世論が盛り上がり、当時の橋本龍太郎首相は、住宅の密集する普天間基地を返還してもらうと約束します。しかしその舌の根も乾かないうちに、普天間基地の代替施設を、同じ沖縄の、しかも自然が豊かな辺野古の海に作る計画を推し進めようとしました。名護市市民投票で「基地はいらない」という民意が示されたにもかかわらず、地元の保守勢力を取り込んで「基地建設容認」の市制、県政が続けられました。沖縄の人たちは16年もの長きに渡り、座り込みをはじめとする基地建設阻止の闘いを繰り広げます。またその過程で、辺野古の基地は代替施設ではなく、新しい設備を持った最新鋭の基地であること。またそこにはMV-22オスプレイという、危険な最新兵器が導入されることも明らかになりました。どこまで沖縄を踏みつけにすれば、日本政府は気が済むのでしょうか?(基地が建設されれば「第四次琉球処分」になるという人がいます)
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2.原発は止まった!次は沖縄の基地撤去だ 5月5日の深夜、北海道電力の泊原子力発電所3号機が定期検査のために停止し、42年ぶりに日本から原子力発電による電力がなくなりました。これは福島第一原発の取り返しのつかない大事故をきっかけに、原発に関する多くのウソが明らかになり、また日本全国の人々が「自分の問題」「家族や子ども達の問題」だと気づいて、声をあげ続けたことによるものです。
 16年間の沖縄の闘いの中で、情勢も大きく変わりました。沖縄では保守であっても「基地建設反対」を言わなければ議員や自治体の首長になることはできず、名護市でも基地建設反対、基地に頼らない街づくりを進める市長が誕生しました。「本土」でもようやく、沖縄基地問題の差別性、重要性に声を上げる人が増えつつあります。「普天間即時閉鎖、辺野古やめろ、海兵隊いらない」をスローガンとする「沖縄意見広告運動」 http://www.okinawaiken.org/ もその動きの一つです。一方の当事者であるアメリカ政府、議会内からでさえ「もう辺野古は無理」「グアムや米本土に海兵隊を撤退させる」等の意見が出てきています。厖大な軍事費を削減するため、海兵隊そのものも要らないのではないか?という
声もあります。ただただ日本の野田政権のみ、沖縄辺野古への基地建設、あるいは普天間基地の固定化そしてオスプレイ配備の容認と、沖縄の人々の気持ちを逆撫でするようなことを続けています。
 沖縄では、5月11日から「平和行進」が始まりました。名護市・辺野古からも出発し、13日には宜野湾海浜公園で普天間基地閉鎖を求める県民集会が開かれます…
ビラ004
                                                
ところで皆さんは、高松にアメリカ海兵隊の基地は、要りますか?
今こそ声をあげよう!沖縄に基地はいらない!原発いらない!
 「辺野古・普天間に基地はいらない高松行動」 e-mail: nisihansen@goo.jp (にしかわ)
  一人で勝手に毎月第二、第四土曜日商店街街宣! (今月は都合により、13日と26日)
ブログもあります…http://takamatukoudou.blog130.fc2.com/…

今日、野田首相が沖縄に来て「普天間固定化は考えていない」と言いました。しかし「県外移設」はいいませんでした。あくまでも沖縄・辺野古に基地を作るつもりです。
MV22オスプレイも、7月には普天間にやってきます。世論の力で、止めましょう!
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テーマ : 沖縄米軍基地問題
ジャンル : 政治・経済

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高松行動

Author:高松行動
小豆島から、沖縄・辺野古に基地建設のための土砂が運び込まれようとしています。沖縄の基地問題は、遠い沖縄の問題ではなく、本土の私たちが真剣に考えないといけない問題です。

みんなでできることを、しなやかに行動しましょう!
連絡は下のメールフォームからお願いします(^^)

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