スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「沖縄」を利用して「日本」を再起動させるな

普天間基地情勢が緊迫する中、行動はいつもどおり13日、27日の第二、第四土曜日に行います。

ここで、
辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動で撒かれたチラシのコラムが素晴らしいので、作者の許可を得て転載いたします。

 沖縄の「日本復帰」40年と言われる今年。9月8日9日「エイサー祭り」会場の千島グランド(大正区役所前)の北東隅で、「日本復帰」60年と題した展示をしてきました。1952年4月28日、翌29日の「昭和天皇」への誕生日プレゼントのように、日本が日本に再帰してから60年が経ちます。「沖縄」をアメリカのものとする天皇/マッカーサーの密約通りに、日本は日本になりました。沖縄の40年前の「日本復帰」は、もともとこの日本の日本への60年前の「復帰」がなければありえなかったのです。 たとえば、当然のように「沖縄県の」尖閣列島と報じられている、話題の尖閣問題ですが、これもまた、60年前に日本がアメリカの占領権力と結託し、尖閣列島を含む琉球諸島をアメリカのものとしたことに元の原因があります。だから実は、尖閣問題で逆にあぶり出されているのは、沖縄が「誰のものか」という問いなのです。
 日本が「歴史認識」、とくに「主権」の問題で自己を主張するとき、クセのように「沖縄」を持ち出す感覚があります。問題をややこしくしているのは、沖縄が日本のものだという認識に疑いをおぼえない感覚が、日本のわたしのカラダのなかで既成事実になっていることです。
 尖閣列島が日本のものであると主張することは、沖縄は日本のものだと言っているのと同じ平面上にあるのです。多くの方は、もはやとり返しのつかないことだと諦めているかもしれません。でも、いま求められているのは、このわたしが「どうしてもとり返しのつかないことを、どうしてもとり返す」ということだと思います。
 さて「日本復帰」60年という展示で、わたしは「沖縄」というコトバが日本のわたしのカラダのなかをどのようにめぐっているのか、考えてみようと思いました。ここで、日本が自分のポジションに困ったとき、「沖縄」をどのように扱ってきたか、振り返りましょう。 おもに代表的な4つを挙げます。


・1600年~1609年の薩摩藩沖縄侵略
沖縄が保護し返還手続きをしていた朝鮮の漂流民を、自分の「人質」に利用し難癖をつけて朝鮮侵略を行い、自分に剥奪されていた朝鮮中国との交易権を沖縄から侵略して奪った。
・1872年~79年の「琉球処分」
台湾で宮古島の人びとが殺された事件で、その「救出」を名目に宮古島の人びとを日本人だと清国に主張して台湾を侵略占領し、軍隊を派遣して沖縄を支配した。
・1945年の沖縄戦
アメリカとの戦争で「皇土防衛」のための「捨て石」として沖縄を戦場にし、戦争が自分の目の前に迫ると降伏し、連合国の占領権力と結託する道を選んだ。
・1952年の講和・安保条約=「日本復帰」
占領から日本が「日本」として再帰するさいには、日本は「沖縄」をアメリカのものとすることで自己防御のためにアメリカとの「安全保障」を新たな国体として追求した。


こうして見てくると、日本は自分の都合しだいで、ある時は放棄でき、ある時は自分のものにできるものとして「沖縄」を扱ってきたように見えます。いまの中国との関係をはじめ、朝鮮、台湾、そしてアメリカのことでも、たびたび日本は、「日本」の責任で行わなければならなかったはずのことを、「沖縄」を利用し「沖縄」にその
重荷を背負わせてきた歴史をくり返してきたと言えると思います。安全保障や米軍基地やオスプレイの問題を、「沖縄」を舞台利用するのをやめて立ち止まり、困難なことですが、自分の足で一歩一歩解きほぐしてゆくことが大切だと感じます。(文責・M)
スポンサーサイト

テーマ : 沖縄米軍基地問題
ジャンル : 政治・経済

コメント

非公開コメント

プロフィール

高松行動

Author:高松行動
小豆島から、沖縄・辺野古に基地建設のための土砂が運び込まれようとしています。沖縄の基地問題は、遠い沖縄の問題ではなく、本土の私たちが真剣に考えないといけない問題です。

みんなでできることを、しなやかに行動しましょう!
連絡は下のメールフォームからお願いします(^^)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
2010年国際ジュゴン年
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。